沿革

令和3年度
新型コロナウィルス は1年経っても勢いを弱めなかったが、長期の休業などを行うことなく、「学びを止めない」を合い言葉に学校を運営した。タブレット端末が一人一台配置され、1学期には持ち帰りテスト、2学期は朝の会を チ ームズで行った。3学期は新型コロナウィルス感染拡大防止 のため、5日間の臨時休業となったが、経験を生かしてタブレットを活用して遠隔で授業を行うなど工夫して取り組んできた。6年生の修学旅行が11月に(県内)延期され、5年生のキャンプは八島湿原を歩く日帰りの自然体験教室となった。運動会や音楽会、卒業式などは昨年度の様式を生かして滞りなく行うことが出来た。

令和2年度
新型コロナウィルス感染拡大防止のため、4月のわずかな登校で5月中旬過ぎまで学校がかつて経験し た 事の無い臨時休業となった。5月19日より順次教育活動を再開した。様々な制約がある中で、運動会は延期して半日開催としたが、5,6年の組み体操に 替わる 集団行動、旗の演技は見応えのあるものだった。音楽会も曲数を減らし参観人数制限をして開催したが、五十周年にふさわしい演奏や歌声を 届ける ことができた。五十周年記念式典も2回の延期の末3月12日に44名のご来賓を招いて挙行 し、講演会として本校卒業生の依田知絵美さんに東京からシャンソン の歌声 を届けて頂いた。タイムカプセル封印や風船飛ばしなど、制約がある中でも 多くの方のご協力で記念となる行事を行うことができた。

平成31年度・令和元年度
14代目唐澤裕子校長が着任。 元号が5月より「令和」となった。 信教全県大会「外国語」の会場として11月に 体験工房講師 に 国際教養大学の町田智久先生をお招きし、 「新しい英語教育とその指導法」 と題して 具体的な演習を通して多くの参観者と共に学ぶことができた。 次年度 の50周年に向けて2回目の「ふれあいバザー・フリーマーケット」を開催し、ステージ発表も含めて多くの方にご来校頂いた。新型コロナウィルス感染予防のため3月3日より 卒業式前日まで 臨時休業となり、児童の手によるアマゴの卒業式や6年生を送る会 が 実施できなかった。卒業式も来賓をお招きせず、異例の短時間の実施となったが、対面式で行い、短くも心のこもった 卒業式となった。

平成30年度
諏訪地区小学校教育 過程 研究協議会 「道徳 」の会場校として、心のメーターを用い ることで 、自己を見つめられること、 他者理解を深められることなどを、参観者に提案することができた。2年後の50周年に向けて、PTA主催で「ふれあいバザー・フリーマーケット」を開催し、多くの地域の皆様に来校頂いた。南知多交流では、いずみ湖で初めての宿泊学習を行い、交流を深めた。町健全育成研究集会は、発表形式になって2年目となるが、4年生が花田交流で、相手意識が次第に高まっていった事例を劇を交えて発表した。

平成29年度
英語学習では、水曜日を清掃、朝の活動無しで6時間にし、高学年の年間70時間、中学年の年間35時間に対応した。担任主導のプランBについても町の英語公開授業などで実践を積み重ねた。ノース下諏訪ネットワークが本年で10周年となり、記念のパンフレットを作成した。荒汐部屋との相撲交流も3年目となり、蒼国来 関ら部屋の皆さんと給食を食べたり、全員が体育館で力士と相撲を取ることができた。また6年生は力士たちが怪我を乗り越えて努力している様子を映像を通して学ぶキャリア教育も行った。

平成28年度
13代目丸山一穂校長が着任。御柱祭の中で、北小の子どもたちは木遣り、騎馬行列、長持ちなど大いに活躍 し、地域の方から賞賛の声をいただいた。1学期、北小おんばしら実行委員会が立ち上がり、8月には伐採、 9月22日秋分の日に、北小おんばしらを行った。荒汐部屋との相撲交流も2年目となり、力士や床山さんなど部屋の方々と一緒に給食を食べ、交流を深めた。

平成27 年度
諏訪地区小学校教育課程研究協議会「外国語活動」の会場校として、児童がめあてを持って取り組む授業の実践を重ね、その成果を公開した。また、人権養護委員の支援のもと、花を育てることを通して命の大切さを学び、12月諏訪子ども人権の集いで取り組みを発表した。2月、3月には、いじめを考える全校集会を開き、互いに意見を述べ合い、相手を思いやる心情の育成を図った。地域支援本部ノース下諏訪ネットワークが学校支援部のほかに地域連携部、広報部を加え、信州型CSノース下諏訪ネットワーク委員会としてスタートした。

平成26年度
御嶽山捜索に参加した下諏訪消防署員が講演を行った。実際に使用したザックを児童が背負い、捜索の大変さを実感した。6年生が社オープンスクールの他に社中一日体験を行ったり、社中3年生が北小で歌声を披露したり小中の連携がさらに深まった。秋の三角八丁に2年生と5年生が参加。東日本大震災の被災地の商品や自分たちが栽培収穫した米を売るなど外へ発信する活動が盛んになった。11 月の参観日には、連学年で意見発表会を行い、表現学習の成果を披露した。地域に根ざした教育の充実を期し、今年度より遠足・スキー教室(5,6年)を実施し、諏訪地方のすばらしさを 再認識した。

平成25年度
12代目山岡祐司校長が着任。諏訪地区小学校教育課程研究協議会「特別活動」の会場校として、「関わり合
い」を キーワードに授業での実践を重ね、その成果を公開した。 愛知県南知多町との友好交流事業として、
夏休みに45年生代表児童が1泊2日で日間賀島を訪問し、地元の小学生と交流した。英語教育特区10年
目、インターナショナルデーでは、10名以上の外国人講師をゲストに、グループごと課題に取り組んだ。

平成24年度
社中学校との小中一貫教育に向けて、6年生のキャリア学習(中学校見学)を年3回行い、また9年間を見通した指導指針を検討した。重点研究では、表現力、他者理解力、実践力・評価力の3部会で実践の記録と事例の積み上げを通して研究を進めた。PTA作業では、ノース下諏訪ネットワークの支援を受け、校舎北側のヒマラヤスギ3本を伐採した。

平成23年度
11代目杉山佐俊校長が着任。JAXA宇宙授業が、4 年にも拡大して実施され、町英語公開で、初めて「インターナショナルデー」を公開する。南信図書館教育研究会会場校として、5年「国語」3年「社会」を公開する 。 東日本大震災・県北部地震による被災地に、児童会がアルミ缶およびベルマーク収集活動を行い、義援金と して 10数万円を寄付し、また、アルミ缶回収活動については、長年の継続した活動が認められ、全国優秀校として表彰を受ける。

平成22年度
40周年記念の年と御柱年が重なる。9月「北小おんばしら」、10月記念式典・記念音楽会を行う。PTAからは、児童用図書50万円分が寄贈され、40周年記念文庫を設置する。英語学習では、初めて「インターナショナルデー(ALTと交流する活用型の授業)」を実施する。また、校舎の耐震改修工事が、夏休みより半年かけて行われる。

平成21年度
英語教育特区6年目、前年から始まった「こどもエキスポ」には、英語劇や英語朗読で2学級が参加。新型インフルエンザ流行により、11月より年度末にかけ、学年閉鎖1回、学級閉鎖5回を数える。

平成20年度
10代目青沼務校長が着任。町の支援により、校内のIT環境が向上。職員にパソコンが1人一台配布され、校務や授業に活用できるようになった。

平成19年度
JAXAによる宇宙授業を五年が受ける。(コズミックカレッジ授業~ペットボトルロケット)

平成18年度
7月、集中豪雨のため 19 日と 21 日の2日臨時休校となる。

平成17年度
統計グラフコンクールで、県知事賞、特別賞をいただき、さらに全国コンクールでも評価されるなどレベルの高い作品の多い年。「下諏訪駅構内の看板デザイン」に五年生が取り組み、下諏訪町のPRに貢献する。

平成16年度
下諏訪町の英語教育特区1年目。英語教室を設置し、英語学習が始まる。今回より、PTA御柱委員会が中心となった「北小おんばしら」が行なわれる。山出し、里曳き、御柱休めの三日に分けて実施。

平成15年度
長年にわたるアマゴ飼育と地域環境が認められ、環境表彰を受ける。下諏訪町民レガッタに参加し、男女チームとも準決勝進出。

平成14年度
大体育館の改修工事が始まり、12月に竣工、引き渡しが行われた。北小学校の大規模改修工事が終了した。 下諏訪町民レガッタ に職員チーム初参加。男子チーム準決勝進出。

平成13年度
8代目大坪久芳校長が着任した。 ALTを迎えての国際理解教育が始まった。 校舎の大規模改修の最終段階として、給食室の改修を行い、ドライ方式の給食室が完成した。

平成12年度
30周年を迎え、多くの記念行事が行われた。 未来の道の周りに整備された「ふれあいの森」。子ども達も池に入れるための石を砥川から運ぶなど作業に参加した。また、未来への入り口に作られた校門の中には、30年後の自分に宛てた手紙などを入れたタイムカプセルを埋設した。11月11日には記 念式典・祝賀会・記念音楽会が開かれ、地域の方々とともに30周年を盛大に祝うことができた。

平成11年度
平成7年度から5カ年にわたり行われてきた大規模改修工事が終了し、11月16日には引き渡し式が行われた。9月の土曜参観日には、ごく身近な地域の方を講師にお迎えし、親子で一緒に楽しめる 「ふれあい講座」が始まった。

平成10年度
御柱祭の年に当たり、児童北小御柱委員会が中心となり、6月皮むき・7月綱打ち・山出し(木落し)・11月里曳き(建御柱)・3月願いの柱休めと、PTAや地域の方々とともに北小御柱が盛 大に行われた。 全国的に環境ホルモンのことが問題になり、この年から給食の食器が新しくなった。

平成9年度
雪の多い年だった。1月15日から降り続いた雪は、各地の交通機関をマヒさせ、学校は臨時休みに。職員は一日中雪かきだった。2月には長野で冬季オリンピックが開催され、学校でも初めてのスキー教室が開かれた。また、諏訪大社御柱祭に合わせ、「北小おんばしら」が計画され、2月、御柱の見立てから、3月伐採、おんべ作りなど、本格的な計画が進められた。

平成8年度
75名の新入生を迎え全校499名 でスタート。 昨年に引き続き校舎大規模改修工事が行われ、6年生を中心に引っ越し作業をした。また、アマゴの飼育・放流や、花田養護学校との交流など本校独自の活動も行われた。

平成7年度
5年間にわたる校舎の大規模改修が始まり、教室、昇降口が造りかえられていった。アマゴの放流の活動を示すレリーフもできた。また、25周年の記念行事として開校50周年に向けて写真・作文などが入れられたタイムカプセルが校庭に埋められた。

平成6年度
PTA主催のふれ愛広場では「思い出そう、セピア色の頃」をテーマに、むかしの遊びを子どもたちに紹介して一緒に遊んだり、クイズをしたりしながら、親と子のふれあいを楽しんだ。PTAの長年にわたる学校と連携を密にした活動が認められ、北小PTAに日本PTA全国協議会から会長表彰を受けた。

平成5年度
校庭北東の角に「竪穴式住居」を作成した。11月20日には児童会行事として「なかよし集会」、PTA行事として「親子ふれあい体験広場」が開かれ、楽しくふれあう時間を持った。

平成4年度
御柱の年に当たり、児童会主催の「北小おんばしら」 が、7月19日好天に恵まれ、児童・職員・PTAら約千人が「協力一致でお願いだ」の木やりの中行われた。11月4日には盛大な里曳きが行われフィナーレを飾った。

平成3年度
2月22日には、「北小おんばしら」に向けて一足早く御柱の伐採 が町内福沢川上流の山林で行われた。古里諏訪の大祭を後世にも受け継いでほしい、どんなことを行うのか理解を深めてほしいとの願いから、今回は直径30~40センチメートルほどの杉の木を学年ごとに計6本切り出した。

平成2年度
4月28日 に 創立20周年 記念事業である 大和作内先生作「春の日和」のブロンズ像の除幕式 が行われた。児童一人一人が石を洗い、家庭や地域の人々を始め多くの人々にも一言ずつ記してもらい、児童・職員・PTAの作業により敷き詰め完成したメモリアルロードは6年生の横山香と野原香織により 「未来への道」と命名され、7月に開通式を行った。

平成元年度
5代小口明校長を迎え、「北小を日本一の学校にしよう」という大きな呼びかけとともに新しくスタートした。

昭和63年度
オリンピックの年にちなんで、児童会の企画運営による北小オリンピック が催され、全学年と職員が一緒になって、いろいろなスポーツを楽しんだ。 アマゴの稚魚を育て、砥川へ放流する活動が始まった。

昭和62年度
創立17年目を迎え、20周年記念事業に向けての気運が高まった。 8月26日学校主催、児童会運営で土俵開きが盛大に行われた。

昭和61年度
7年に一度の御柱の年に当たり、諏訪一円が御柱一色に染まった。 下社でも山出し、里曳きが行われ、学区内の春宮も大勢の見物客で賑わい、本校のグランドが駐車場に使われた。そんな祭り気分の高まりの中、7月12日には、児童会主催の北小御柱祭が 行われ、11月29日には建御柱を行う御柱集会も行われた。

昭和60年度
創立15周年となったこの年は、タイムカプセル発掘、航空写真撮影、「わたしたちの町」案内板設置、 藤原てい先生講演会と数多くの記念事業が行われた。

昭和59年度
9月28日には「自然とのふれあいを通して、緑を愛し育てる心を養い、ゆたかな郷土作りの活動を自主的に行う」ことを目的に、「北小みどりの少年団」の結団式が行われた。

昭和58年度
北小の丘にクリーム色の美しい校舎がそびえ立つ。 7月27日、新装の小体育館で、新校舎・小体育館の落成式が行われ、2学期より5年生が入って授業を始めた。また、「心が通い、ひびきあいのある交流教育」のテーマのもとに研究実践し、12月6日に発表会を実施。

昭和57年度
前年に引き続き新校舎増築工事が進められた。東側土手は石垣や通路が完成し、10月28日には、地鎮祭・起工式が挙行された。小体育館は3月25日に完成した。

昭和56年度
児童数も1106名 となったこの年は、体育館東側上の畑に新校舎・小体育館増築工事のための造成が始められた。また、花田分校設立による提携校としての交流教育も始まり、職員による交流、各種行事への招待、児童会による交流もすすめられた。

昭和55年度
10周年目を迎え、初代金子恭之校長の「さあやろう」の開校式の言葉に始まった創立以来の教育目標の願いと実践は、2代目細田甚四郎校長に受け継がれ、新しい校風の樹立がなされてきた。そんな中にあって10周年記念事業の一つである10周年誌を発行し、PTA・児童会・一般家庭の協力により、校歌碑を建立し10月29日除幕式を行い、さらに11月16日には10周年記念式典を挙行し、創立10周年の節とし ての有意義な年となった。

昭和54年度
学校創立10周年記念事業の一つとして校歌を作ろうとの気運が高まり、郷土にゆかりのある人ということで、作詞を下諏訪町出身の劇作家阿木翁助氏に、作曲は下諏訪町在住の今井光也氏に依頼した。校歌を作ろうという強い気持ちは、児童会ではびん集めで、PTAではバザーにより資金集めを行うことで発揮された。3月13日、作詞者阿木翁助氏、作曲者今井光也氏を招いての校歌披露式 が行われ、今井氏の指揮と本校合唱団により校歌の披露がなされた。

昭和53年度
北小創立10周年の記念事業とし て、学校のシンボルである校章を制定した。 図案は6年生小林郁美の梶の葉を基調とした作品を基にし、デザイン化をデザイナー藤森泰治氏(本校PTA会員)に依頼する。 12月21日には完成式が挙行され、PTA・児童会・学校職員が一体となって推進した校章の制定、校旗及び校章旗の作製事業は、大きな成果を挙げて、完了した。

昭和52年度
2代目細田甚四郎校長が着任し、教育の創設期から充実期へと歩み出した。子ども達の生活・学習に根を張った研究を進めるべく、前年に引き続き次の目標を据え研究をスタートした。「意欲的に生き生きと学習にとりくむ指導はどのようにしたらよいか。」~子ども達の見とりを通して~

昭和51年度
児童は創立以来254名増となり、5学級増で昨年増築された教室も使って大規模校へと発展した。 創立とともに入学した児童が大きく成長して北小を巣立っていき、創立以来北小教育に尽力した初代金子校長が退任し、創立とともに歩んだ6年間が一つの節目を迎えた。

昭和50年度
昭和46年に児童数729名、20学級で発足した本校も、この年は児童数939名、24学級にふくれあがった。しかも、数年間は毎年1~2学級ずつ増えていく予定になっており、来年度以降に備えて増築されることになった。校舎西側へ続けて2教室ずつ、4階で罫教室の増築工事が、12月10日に完了したが、 校舎の全長は実に139.5メートル にもなった。9月12日には、PTAが主催し、 開校5周年記念講演会が行われた。講師は、ミュンヘン五輪の男子バレー監督、松平康隆先生 で、「負けてたまるか」と題し、約2時間余にわたる講演をお聴きした。

昭和49年度
6月6日、高木勇氏の好意とPTA会長北原弘司氏の尽力による校門碑が建立された。 11月3日、 町内高木出身の彫刻家大和作内先生(当時80歳)のご厚意により、ブロンズ「縦走」が、職員玄関前に据えられた。 この像は、2人の男子がリレーのバトンタッチをする瞬間をとらえたもので、「責任」「協力」「健康」について教えている。

昭和48年度
開校3年目、校舎内外の施設の充実と、教育の実をあげるために授業研究が活発に行われた。特に地学教 育研究大会が、全県から小・中・高・大学の職員総計60名の参加をえて行われ、施設面では、低学年プール専用の浄化装置の取付け、うさぎ、にわとり小屋の設置、日進工業より寄贈された学校の「位置標」なども設置された。

昭和47年度
2年目を迎えたところで、校舎の施設は一応整い、備品の荷ほどきも終わっていた。しかし、各教室に配られた備品は、整理が不完全で学習に十分利用できず、この年、備品整理を含めて基礎作りの年になった。 また、PTAの協力を得て、校庭北東の隅及び浄化槽北側に岩石園を作ることができた。

昭和46年度
開校の日は迫っているが、 工事は遅れていた。3月20日過ぎても、 まだ校舎周辺はどろんこ 。校舎内も、工事中のところもあり、ほこりだらけである。 水道はまだ出ないので、飲み水は無く、便所も使えない。 この中で、下諏訪小学校、下諏訪中学校から本校へ転補になった職員は、学年末休み返上で、毎日、購入備品の受け入れ、机・腰掛の配置、 下諏訪小学校からの備品運搬、清掃、新入生受け入れ準備 に汗を流した。 4月2日の開校始業式は、骨組みだけできた体育館に床だけ張り、周囲は紅白の幕を張りめぐらして挙行した。 好天に恵まれ、新しい 学校創設の喜びに燃えた職員、新しい学校でしっかり勉強しようと張り切った児童、来賓の出席も多く、緊張した式であった。 6月末プール完成、7月末体育館完成。2学期より校庭全面使用可能となった。 9月30日には、下諏訪北小学校の竣工式が挙行された。